二人のとびきりのシャマンとの出会い (1)
20??年?月?日
日常意識と違う別の世界に
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お釈迦さん |
日常意識と違う別の世界に人を連れて行く力のある導き手のことです。シベリアのある部族で使われている言葉が、それを研究した学者の影響で世界中の類似した文化を表すようになりました。そういうことが必要だとされて、普通にやられている文化のことをシャマニズムといいます。シャマニズムが一番盛んで日常的にやられている社会に韓国がありますが、韓国のシャマンは本当に特別の意識状態に入ったり、人をその状態に誘導したりすることは稀で、ほとんどの場合はその「ふり」をして踊り、声色を使ったりして霊を呼び出したふりをします。でもその中には本当かも知れないという人もいます。
シャマン現象は大きく分けて、「憑依」と「脱魂」のふたつのパターンがあります。憑依とは「とりつく」という意味で,神が、あるいはその人でない死んだ人や別の生きている人の霊魂がそのシャマンにとりついて、人格変容が起こり、その人が知っているはずのないことを話したりする場合です。脱魂は肉体をその場所においたまま、魂が遠くに抜け出して、必要なことを見たり聞いたり学んだりしてくることです。それはシャマンがそうなることもあり、参加した人なりクライアントがそうなる場合もあり、本当に不思議なことに一緒にひとつの夢を見るという場合もあります。
〔私は国際シャマニズム学会の創立メンバーでした。本部はハンガリーにありました。その第一回の総会が韓国で開かれ、日本からは修験道の専門家である三宅準先生と私が参加しました。私は当時さかんに交流のあった韓国の学者たちから招かれていきました。そのときにハワイイの最高のシャマンの一人であるサージ・キングを自費で招きたいと思い、それに参加してから日本に来て高野山でワークショップをしてその費用を作りました。サージと非公開で天河神社でやった宮司との交流はわすれることができません。学会には途中で会費を払えなくなって、一時脱退しました。毎年ハンガリーやボリビアやカメルーンで開かれる面白そうな学会に参加できる見込みもなかったものですから(これは19年後の付け加えです。〕
私は過去に二人の女性シャマンと深い精神的つながりを持って、大きな影響を受けました。一人は「憑依型」のアイヌの青木愛子であり、もう一人は「脱魂型」のフィンランドのヘルヴィです。二人とも70代のときに知り合いました。
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二人のとびきりのシャマンとの出会い(2)
20??年?月?日
トゥルクの養老院に住んでいたヘルヴィ・ヴュルクルント
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魔女 |
もうひとりは、フィンランドの南西端トゥルクの養老院に住んでいたヘルヴィ・ヴュルクルントでした。養老院といっても一戸建てで、立派なものでした。お茶を淹れてくれて、カップを弄びながらの手の表情は、長い指の先に更に7,8センチほどのマニキュアをした爪が伸びていて、いかにも「魔女」していました。「昔の魔女は洞窟に隠れたんだけど、今はそれじゃかえって目立つからね、養老院に隠れるのさ」とわらっていました。
「それに、いつお呼びがかかるかわからないから、一人でいたほうがいいし」
この「お呼び」というのは天に召されることではなく、突然脱魂して意識だけ遠くに行ってしまうことです。そのとき近くに誰かがいたら、失神して危険な状態にあると誤解して病院に運ばれたりします。一度など気がついたら死体置き場にいたことがあるそうです。多くの場合は、何かを認識するというだけでなく、何かの役割を果たすように言われるといいます。なりたくてなったわけではなく、迷惑に思っていたのですが、あるとき孫の男の子を救助するということがありました。
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南の海 |
海の上を滑っていったら、なんと自分の孫が溺れてもがいているのです。あんたどうしたのと抱き上げてそのまま海岸のほうに連れて行った。子供が溺れているということで何人もの人が海の中を走ってきたのだが、その中の一人は私を見てびっくりした顔をしている。見えたんだね、その人にだけは。はい、助けて頂戴と孫を渡して私は消えた。まもなく意識が私の体にかえってきた。しばらくして電話があって、「孫が溺れたけど奇跡的に助かったのよ」と娘からだった。「ふむふむ、よかったねえ」と言ったのだけどさ。まあこういうことがあるのならこの奇妙な癖もしかたないねと思ったのさ。
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ババジ |
ある朝起きたらキッチンのそこにさ、見知らぬ人が坐っているんだよ。びっくりしてさ、まだネグリジェだったから前をかき合わせたよ。自分はチベットからきた。なぜここにきたのかわからないが、あなたに七つのチャクラについて教えるように言われた。お茶飲みます? と聞くといや私は幽体で現実の体ではないからと断った。で私は着替えてきてチャクラについて習ったのさ。
カウコはそれを体験している。初めて会った時に試してみようかと胸のチャクラから気を放出すると、彼は椅子に叩きつけられたようになったという。
あとになって、チベットから偉い坊さんが来たからミーティングをやるわよと友達から連絡があって、行ってみたらうちのキッチンに来た坊さんがいるの。あれ、あなたフィンランド語を話したわよね、と聞くと、幽体の時には相手に合わせた言葉を話せるが現実にはできないのですと頭をかきました。長年体験だけしてきたのが東洋の理論に出会って、いろいろなことがわかったわ。
彼女の能力はマスコミでも報道され、外国からもいろいろ依頼が来ました。とくに呪ったというのではないが、困ったなと思っただけで、その担当編集者が病気になってしまった。こんなふうに人目にさらすことはできないと、「とうとうおかしくなった」という噂を流して、養老院に隠れたという次第。それからはカレワラン・エソテリズムの研究をしたりしながらひっそり暮らしてきた。そうそうあんたたちを紹介してくれたのっぽのマッティはもともとカレワラの講義を聞きに来たんだよ。カレワラという叙事詩があってね(日本語でも全訳されていますよ)そこに隠された密教的な教えを発掘して整理するという作業をしてきた。
プルヴェシでやった日本、フィンランドの合同の合宿で(あれは50人くらいもいた)ヘルヴィにも来てもらったことがあるんです。何をしてもらうでなし、ただ一緒にいたいと。
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鳥のペンダント |
彼女は気持ちよさそうに陽だまりに坐ってみんなの練習を見ていたのですが、「あんたが舞い始めるとすごく大きいダイヤ型の八面体ができて、あんたの動きにつれてまわっていたのが、すごくきれいだったよ」と言ってくれました。むろんこちらには見えもしないのですが。
半分冗談のようにして、ヘルヴィは
「飛行機が落ちそうになったらこのペンダントで私を呼ぶんだよ。なんとかするし」
と自分で彫金した鳥を描いたペンダントをくれました。
彼女はそれから間もなくなくなりましたが、
必要な時には彼女に助けられるに違いないとずっと思っています。
愛子ばばのようなタイプを憑依型シャマン、ヘルヴィのようなタイプを脱魂型シャマンといいます。もちろんまねができなくとも、二人に会えたことでどんなにか世界が広くなったことでしょう。
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すべてがつながっている
アメリカの人類学者マイケル・ハーナーが、中南米のシャマンについて勉強して、それを一種の精神療法として整理し、ネオ・シャマニズムとしてカリフォルニアでワークショップを始めました。それを習って帰国した藤見幸雄さんの指導で、天河で合宿をしたことがありました。私は誘導された通りに「穴」に入り、旅をしましたが、かえって来いよーのドラミングまでに自分の守護動物に出会うことはできませんでした。「きっと熊だよ」と藤見さんがいうので、「藤見さん蛙でしょ」といったら「あれえ、どうしてわかるの」と言っていました。とっさに顔を見て言っただけなのですが。その時はたぶんナヴァホ族の、模様のないドラムを使っていました。
そんなに特別のことを期待しなくても、ドラミングによって自然の波動に自分を合わせると...いう比較的気楽な、しかしとても味わいのある使い方をすることもできます。以下は『フィンランドの森の友だち』の中一節です。
「水車小屋から一時間ほどハイキングをして、セイタキキヴィに行きました。セイタはシャマン、キヴィは岩なので、昔はその上で神々を招く儀式をしたらしい。小さな、異様なほどの透明度の湖のほとりに、天にせり出すテラスのような岩がありました。シャマンズ・ロックと聞いていたので、ドラムを持ってきていました。苦労してよじのぼって、少しだけドラムを叩きました。
明るい陽光の中ですが、トントントントンと単調に叩いていると、目の前の水面や周囲の木々が皆同調して波動を発しはじめ、世界全体がゆれているようでした。全部食べ物、という感覚と同じで、波動としてはいっさいがつながっていて、自分と大地、湖、森、鳥たちの間に何も違いがない、という実感を味わいました」
見える者を見るのとまた違った、存在の背後の波動を共有して行くことが「音で見る」ことであるという感覚とでもいいましょうか。「全部食べ物、という感覚」というのはその前の文章で、低い山頂まで何キロにわたって全部ブルーベリーという風景をその前に見て、天から与えられたマナが地上に満ち満ちているという究極のぜいたくな感覚をあじわったことを指します。世界全体が食べ゜られる、という「エディブルな風景はまた荘子の言う「万斉同」の実感でもあります。食べるという行為を通じて「他者」であったいのちが私のいのちに変わっていくことを実感するとき、耳元で無音のシャマンドラムがやっぱり鳴り続けているのです。
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